1868年8月25日
『渋沢栄一伝記資料』別巻第1, 第2より、該当日の日記および集会日時通知表を表示します。
1868-08-25
1868年8月25日
日記DKB01 渋沢栄一伝記資料. 別巻第1 日記 (慶応4年-大正3年) > DKB10001m 自 慶応四年六月十四日 至 明治元年十一月二日 1868
七月八日 晴風軽寒 火 八月廿五日 朝第 七時 御旅宿を御発し、直ニ セイユ河 の辺ニ而便船の川蒸気乗組、直様発釘《(〓)》せり、第 十一時 舟中ニ而午餐、川の両沿は多く小山ニ而樹木繁茂せり、処々の村落雅にして寂ならす、第 二時 頃より河巾漸広く恰も海の如し、第 二時半 Honfleur 着、旅人の当所に上陸するものの為なり、夫より再ひ船を発す、 ヲンフロール は一箇の小港ニ而 ルヲワール と対恃《(峙)》せり、此辺は川口なれと稍外海に異ならす、 ヲンフロール より船 ルヲフール を指し河流を横截す、風強波高く船頗る動揺せり、第 三時半 ルヲワール 着、 ヲンフロール より ルヲワール 迄川口の巾海に注く処二里程ありといふ、市街入口の波戸場ニ而御上陸、夫より海岸を左折し海に添ふる客舎ホテル[ ]《(原本欠字》)といふ江御投宿、直ニ御発し市中港口御巡覧、船入の周囲せる処より数多の橋を渡り、荷物場、荷積の土蔵抔建並たる処を通り過、再ひ海辺に出、新製の砲台上を御歩行、此砲台は長半里余もあるへく、川口の海に注く迄周繞して築造せり、水際の処は大きなる石ニ而築立、高サ弐丈程もあるへし、其内面は土台場ニ而其貌曲屈せる長堤のことく、其堤敷の巾凡弐十間余、其高サ七八間もあるへし、護胸圧《(壁カ)》は巾三間余ニ而、向低に築成せり、其上近年の製なれば其建築のさま宏壮にして簡易なり、御一覧後、第 五時半 、御帰宿、夜餐後海辺御散歩 此地は、 仏国 西陲の一大港ニ而、馬寨里に継ける地といふ、人口も稠密にして尤繁華なり、市街の周囲は多く小山にて樹山叢茂し、景色も又佳なり、舟船の多く輻湊すること其数枚挙すへかす《(ら脱)》、船入は市中を横截して幾筋も囲繞し、数百艘の大小船連檣其間に林立せり
登場する地名
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午前七時にご旅宿を出発し、直ちにセイユ河のほとりで便船の川蒸気船に乗り込み、そのまま出航した。
午前十一時、船中で午餐をとった。川の両岸は多くが小山で、樹木が繁茂していた。所々の村落は優雅で、寂しい様子ではなかった。午後二時頃から川幅が次第に広くなり、まるで海のようであった。
午後二時半、オンフルールに着いた。旅人のうち当地で上陸する者のためである。それから再び船を出した。オンフルールは一つの小港で、ル・アーヴルと向かい合っている。この辺りは川口であるが、やや外海と変わらない。オンフルールから船はル・アーヴルを指して河流を横切った。風が強く波が高く、船はかなり動揺した。
午後三時半、ル・アーヴルに着いた。オンフルールからル・アーヴルまで、川口が海に注ぐ所の幅は二里ほどあるという。市街入口の波止場で上陸し、それから海岸を左に折れ、海に沿ったホテル[ ]という客舎に投宿した。
直ちに出発し、市中と港口を巡覧した。船入場が周囲をめぐる所から多くの橋を渡り、荷物場、荷積みの土蔵などが建ち並ぶ所を通り過ぎ、再び海辺に出て、新しく造られた砲台の上を歩いた。この砲台は長さが半里余りもあるようで、川口が海に注ぐ所までめぐらして築造されていた。水際の所は大きな石で築き立てられ、高さは二丈ほどもあるだろう。その内側は土の台場で、その形は曲がりくねった長い堤のようである。その堤の敷地の幅はおよそ二十間余り、高さは七、八間ほどもあるだろう。胸壁は幅三間余りで、向こう側が低く築かれていた。近年の築造であるため、その建築の様子は宏壮でありながら簡易であった。
一覧の後、午後五時半に宿へ帰った。夜餐の後、海辺を散歩した。
この地はフランス西端の一大港で、マルセイユに次ぐ地という。人口も稠密で、とても繁華である。市街の周囲は多くが小山で、樹木が群がり茂り、景色もまたよい。舟船が多く集まることは数えきれないほどで、船入場は市中を横切って幾筋もめぐり、数百艘の大小船が檣を連ねて、その間に林立していた。
この現代語訳は大規模言語モデルによる自動生成です。原文の解釈を保証するものではありません。
時刻
- 07:00:00
朝第 七時 御旅宿を御発し、直ニ セイユ河 の辺ニ而便船の川蒸気乗組、直様発釘《(〓)》せり、第
- 11:00:00
十一時 舟中ニ而午餐、川の両沿は多く小山ニ而樹木繁茂せり、処々の村落雅にして寂ならす、第
- 14:00:00
二時 頃より河巾漸広く恰も海の如し、第
- 14:30:00
二時半 Honfleur 着、旅人の当所に上陸するものの為なり、夫より再ひ船を発す、 ヲンフロール は一箇の小港ニ而 ルヲワール と対恃《(峙)》せり、此辺は川口なれと稍外海に異ならす、 ヲンフロール より船 ルヲフール を指し河流を横截す、風強波高く船頗る動揺せり、第
- 15:30:00
三時半 ルヲワール 着、 ヲンフロール より ルヲワール 迄川口の巾海に注く処二里程ありといふ、市街入口の波戸場ニ而御上陸、夫より海岸を左折し海に添ふる客舎ホテル[ ]《(原本欠字》)といふ江御投宿、直ニ御発し市中港口御巡覧、船入の周囲せる処より数多の橋を渡り、荷物場、荷積の土蔵抔建並たる処を通り過、再ひ海辺に出、新製の砲台上を御歩行、此砲台は長半里余もあるへく、川口の海に注く迄周繞して築造せり、水際の処は大きなる石ニ而築立、高サ弐丈程もあるへし、其内面は土台場ニ而其貌曲屈せる長堤のことく、其堤敷の巾凡弐十間余、其高サ七八間もあるへし、護胸圧《(壁カ)》は巾三間余ニ而、向低に築成せり、其上近年の製なれば其建築のさま宏壮にして簡易なり、御一覧後、第
- 17:30:00
五時半 、御帰宿、夜餐後海辺御散歩 此地は、 仏国 西陲の一大港ニ而、馬寨里に継ける地といふ、人口も稠密にして尤繁華なり、市街の周囲は多く小山にて樹山叢茂し、景色も又佳なり、舟船の多く輻湊すること其数枚挙すへかす《(ら脱)》、船入は市中を横截して幾筋も囲繞し、数百艘の大小船連檣其間に林立せり