1868年8月2日
『渋沢栄一伝記資料』別巻第1, 第2より、該当日の日記および集会日時通知表を表示します。
1868-08-02
1868年8月2日
日記DKB01 渋沢栄一伝記資料. 別巻第1 日記 (慶応4年-大正3年) > DKB10001m 自 慶応四年六月十四日 至 明治元年十一月二日 1868
西暦 八月二日 我 六月十四日 朝 八時 御出発、 八時半 サンラサアール《西街道の汽車場》、 九時五ミニユート 、同所御発軔、直ニ セイヌ 御渡り ダニイールと名ク橋 セイヌ に架ス、長百六十メイトル、ポヲウルと云ふ鉄の類ニ而作ル、重サ百万キロ、鉄の突合せの捻ヂ三百十七ネヂ、直ニ Bezons といふ田舎 セーヌ の河上に架するなり、川上に架す橋九ツニ連架せり、壱橋毎ニ三十メイトル宛あり、汽車道の左は総而大なる車輪を拵置、石を掘出し、 巴里 に運輸す、其右手は田畑多く、小溝を貯、諸の野菜を作り出し、これを 巴里 に売る、尤富饒の土地ニ而景色も稍佳なり、村落毎ニ家富、人豊にして畑々の手入能行届けり 巴里 より半時ニ而汽車サンセルマンの森中を経過ス premiere station de Paris. ou il y a grand marche ou bien laprobisionner《(provision)》 de bacherie《(boucherie)》 de Paris.il y a une maison de detention C'est ou l'on garde les hommes condamnaient《(condamnes)》 a morts.pont sur@a Seine 37 arche, les grandeurs qui ne sont pas egales. 十時十五分 Mantes といふ所着、 巴里 より十五里、tunnel de Manvoisin地道七百メイトルといふ、 十時四十五分 Bueil といふ所着、 十一時弐十五分 Evreuxといふ一小市街に添ふて過る、汽車中ニ而午餐、しかも貯整たレハ、毎事餐肴の差支なし、 十一時四十五分 Conches着、 十二時 Beaumont-le-Roger 着、 十二時十五分 Serquigny 着、小憩、此辺ポンムの樹多し、土地饒にして小山多し、樹木叢茂して風色美なり、此辺藁屋chaumiere多し、女牛羊を飼ふ、昔時は多く民家藁屋を用へしが、近来政府これを禁す、これ火災を恐るゝ為なり、唯牛羊を飼ふに用ふ、此辺多く獣畜を飼養ひ、 巴里 に鬻ふ、此辺草野多し、牛羊を養ふbdrage《(barrage)》を多く拵置て草野の乾燥せし節、水を草野《小水関門》に灑く、 十二時四十分 bernay《(Bernay)》 着、一の市街なり、Il y a des nombreuses fabriques des toiles第 一時 Saint-Mards-orbec 着、 一時二十分 Lisieux 着、繁華の地也、麻の製作所多し、 巴里 より四十八里、 a2 heures moins 15 nous avons passe d'assez longue tunnel qui s'appelait Motte,elle a longueur de 2365 Metres第 二時 Mezidon 着、第 二時半 Cain《(Caen)》 着、汽車乗替いたす、此地一小市街ニ而運船の便あり、第 三時十六分 Bayeux 着、第 三時五十五分 Lison 着、 四時十分 Carentan 着、此辺原野多く牛馬ヲ養ふ、第 五時半 Cherbourg 着、汽車場より 公子 江は コロネル 御供ニ而御旅宿御越、 篤太夫 、 平八郎 荷物に附添ホテール・デ・ヨウロツパといふ客舎に至りしか、旅客多く部屋少しとて再市街を巡り、ホテール・デ・ユニベールといふ客舎御投館、此日暑気強く、午後は殊ニ其熱を覚ゆ、 シヤルブール 御着後は稍凌能し、 Valognes シヤルブール 着、前之汽車休息所
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午前八時にご出発。
午前八時半、サン・ラザール(西街道の汽車場)に到着。午前九時五分、同所を出発し、すぐにセーヌをお渡りになる。
ダニイールという橋がセーヌに架かっている。長さ百六十メイトル、ポヲウルという鉄の類で造られ、重さは百万キロ、鉄の突き合わせのねじは三百十七本である。
すぐに Bezons という田舎に出る。セーヌ川上に架かる橋で、川上には九つの橋が連なって架かっており、一橋ごとに三十メイトルずつある。汽車道の左には、すべて大きな車輪を造り置き、石を掘り出してパリに運輸している。その右手は田畑が多く、小溝に水をため、さまざまな野菜を作り、これをパリに売っている。もっとも富饒な土地で、景色もややよい。村落ごとに家は富み、人は豊かで、畑々の手入れもよく行き届いている。
パリから半時ほどで、汽車はサン・ジェルマンの森の中を経過する。
パリ第一の停車場で、ここには大きな市場があり、パリの精肉の供給をしている。また拘置所があり、死刑を宣告された者を収容する所である。セーヌに架かる橋は三十七のアーチがあり、その大きさは一様ではない。
午前十時十五分、Mantes という所に到着。パリより十五里。Manvoisin のトンネル、地下道七百メイトルという。
午前十時四十五分、Bueil という所に到着。
午前十一時二十五分、Evreux という一小市街に沿って過ぎる。汽車中で午餐をとる。しかも用意が整っていたので、食事の品には何の差し支えもなかった。
午前十一時四十五分、Conches 着。
正午、Beaumont-le-Roger 着。
午後零時十五分、Serquigny 着。小憩。この辺りはポンムの樹が多い。土地は豊かで小山が多く、樹木が叢茂して風景が美しい。この辺りには藁屋、すなわち chaumiere が多い。女が牛羊を飼っている。昔は民家に多く藁屋を用いたが、近来、政府がこれを禁じている。火災を恐れるためである。ただ牛羊を飼うのに用いる。この辺りでは多く獣畜を飼い養い、パリに売っている。草野が多く、牛羊を養うための barrage を多く造り置き、草野が乾燥した時には、水を草野の小水関門に注ぐ。
午後零時四十分、Bernay 着。一つの市街である。布の製造所が多い。
午後一時、Saint-Mards-Orbec 着。
午後一時二十分、Lisieux 着。繁華の地である。麻の製作所が多い。パリより四十八里。
午後一時四十五分、Motte というかなり長いトンネルを通過する。長さは二千三百六十五メイトルである。
午後二時、Mezidon 着。
午後二時半、Caen 着。汽車を乗り替える。この地は一小市街で、運船の便がある。
午後三時十六分、Bayeux 着。
午後三時五十五分、Lison 着。
午後四時十分、Carentan 着。この辺りは原野が多く、牛馬を養っている。
午後五時半、Cherbourg 着。汽車場より公子へはコロネルがお供して旅宿へお越しになる。篤太夫、平八郎は荷物に付き添い、ホテール・デ・ヨウロツパという客舎に至ったが、旅客が多く部屋が少ないというので、再び市街を巡り、ホテール・デ・ユニベールという客舎にご投宿。
この日は暑気が強く、午後はことにその暑さを覚えた。シェルブールご到着後は、ややしのぎやすかった。
Valognes は、シェルブール着前の汽車休息所である。
この現代語訳は大規模言語モデルによる自動生成です。原文の解釈を保証するものではありません。
時刻
- 08:00:00
朝 八時 御出発、
- 08:30:00
八時半 サンラサアール《西街道の汽車場》、
- 09:05:00
九時五ミニユート 、同所御発軔、直ニ セイヌ 御渡り ダニイールと名ク橋 セイヌ に架ス、長百六十メイトル、ポヲウルと云ふ鉄の類ニ而作ル、重サ百万キロ、鉄の突合せの捻ヂ三百十七ネヂ、直ニ Bezons といふ田舎 セーヌ の河上に架するなり、川上に架す橋九ツニ連架せり、壱橋毎ニ三十メイトル宛あり、汽車道の左は総而大なる車輪を拵置、石を掘出し、 巴里 に運輸す、其右手は田畑多く、小溝を貯、諸の野菜を作り出し、これを 巴里 に売る、尤富饒の土地ニ而景色も稍佳なり、村落毎ニ家富、人豊にして畑々の手入能行届けり 巴里 より半時ニ而汽車サンセルマンの森中を経過ス premiere station de Paris. ou il y a grand marche ou bien laprobisionner《(provision)》 de bacherie《(boucherie)》 de Paris.il y a une maison de detention C'est ou l'on garde les hommes condamnaient《(condamnes)》 a morts.pont sur@a Seine 37 arche, les grandeurs qui ne sont pas egales.
- 10:15:00
十時十五分 Mantes といふ所着、 巴里 より十五里、tunnel de Manvoisin地道七百メイトルといふ、
- 10:45:00
十時四十五分 Bueil といふ所着、
- 11:25:00
十一時弐十五分 Evreuxといふ一小市街に添ふて過る、汽車中ニ而午餐、しかも貯整たレハ、毎事餐肴の差支なし、
- 11:45:00
十一時四十五分 Conches着、
- 12:00:00
十二時 Beaumont-le-Roger 着、
- 12:15:00
十二時十五分 Serquigny 着、小憩、此辺ポンムの樹多し、土地饒にして小山多し、樹木叢茂して風色美なり、此辺藁屋chaumiere多し、女牛羊を飼ふ、昔時は多く民家藁屋を用へしが、近来政府これを禁す、これ火災を恐るゝ為なり、唯牛羊を飼ふに用ふ、此辺多く獣畜を飼養ひ、 巴里 に鬻ふ、此辺草野多し、牛羊を養ふbdrage《(barrage)》を多く拵置て草野の乾燥せし節、水を草野《小水関門》に灑く、
- 12:40:00
十二時四十分 bernay《(Bernay)》 着、一の市街なり、Il y a des nombreuses fabriques des toiles第
- 13:00:00
一時 Saint-Mards-orbec 着、
- 13:20:00
一時二十分 Lisieux 着、繁華の地也、麻の製作所多し、 巴里 より四十八里、 a2 heures moins 15 nous avons passe d'assez longue tunnel qui s'appelait Motte,elle a longueur de 2365 Metres第
- 14:00:00
二時 Mezidon 着、第
- 14:30:00
二時半 Cain《(Caen)》 着、汽車乗替いたす、此地一小市街ニ而運船の便あり、第
- 15:16:00
三時十六分 Bayeux 着、第
- 15:55:00
三時五十五分 Lison 着、
- 16:10:00
四時十分 Carentan 着、此辺原野多く牛馬ヲ養ふ、第
- 17:30:00
五時半 Cherbourg 着、汽車場より 公子 江は コロネル 御供ニ而御旅宿御越、 篤太夫 、 平八郎 荷物に附添ホテール・デ・ヨウロツパといふ客舎に至りしか、旅客多く部屋少しとて再市街を巡り、ホテール・デ・ユニベールといふ客舎御投館、此日暑気強く、午後は殊ニ其熱を覚ゆ、 シヤルブール 御着後は稍凌能し、 Valognes シヤルブール 着、前之汽車休息所