1868年10月16日
『渋沢栄一伝記資料』別巻第1, 第2より、該当日の日記および集会日時通知表を表示します。
1868-10-16
1868年10月16日
日記DKB01 渋沢栄一伝記資料. 別巻第1 日記 (慶応4年-大正3年) > DKB10001m 自 慶応四年六月十四日 至 明治元年十一月二日 1868
九月一日 晴 金 十月十六日 朝 七時 過客舎御発、馬車ニ而市街御覧、夫より港口を御通行ニ而 ビヤリイト への汽車場ニ至る、第 八時 発軔、市街の南辺は松林多く松根の皮を剥て松汁を取る、第 十時半 モルサンス 御昼食、Morcenx第 十二時半 バヨンヌ 御着、暫時御休息、第 一時 ビヤリイト 御着、汽車場迄礼式懸之者罷出、国帝御逢之手続申聞る、汽車場より馬車ニ而客舎御越、直様御洋服ニ而帝居御越、 篤太夫 、 コロネル 御供、帝居は海浜ニ而いと狭小なる休息所様の家作なり、玄関を入りたる広間迄帝及后妃共御迎申上る、夫より帝の居間御越、帝后妃とも暫時御閑話、御暇之御詞等御述、御書翰御渡、直ニ御引取、 篤太夫 、 コロネル は次の間ニ扣御待申上る、御帰之節帝后妃共次の間迄御送、太子は玄関まて御送申上る、御逢も御滞なく相済ぬれは直ニ客舎御発し、馬車ニ而市街御遊覧、海浜を御行過、 バヨンヌ より流て海に入る川口御越、 ジンギユ といふ川口の海に接せし処、築出し波塘を作る場処御一覧、河に沿ふて バヨンヌ 御越、第 五時 御着、ホテル・サンテチヤンといふ客舎御投宿、御着後市中御一覧、 平八郎 、 コロネル 御供いたすHotelSaintEtienne
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朝七時過ぎ、客舎をご出発になり、馬車で市街をご覧になった。それから港口を通行して、ビアリッツ行きの汽車場に至った。午前八時に発車した。
市街の南辺には松林が多く、松の根の皮を剥いで松汁を取っていた。午前十時三十分、モルサンスでご昼食。午後零時三十分、バヨンヌにご到着、しばらくご休息。午後一時、ビアリッツにご到着。汽車場まで礼式係の者が出迎え、国帝にお会いになる手続きを申し上げた。
汽車場から馬車で客舎へお越しになり、ただちに洋服で帝居へお越しになった。篤太夫、コロネルがお供した。帝居は海浜にあり、たいそう狭小な休息所のような造りの家であった。玄関を入った広間まで、帝および后妃がともにお迎え申し上げた。それから帝の居間へお越しになり、帝・后妃ともにしばらくご歓談になった。お暇のご挨拶などを述べられ、御書翰をお渡しになり、ただちにお引き取りになった。
篤太夫、コロネルは次の間に控えてお待ち申し上げた。お帰りの際、帝・后妃とも次の間までお見送りになり、太子は玄関までお見送り申し上げた。ご会見も滞りなく済んだので、ただちに客舎をご出発になり、馬車で市街をご遊覧。海浜を通り過ぎ、バヨンヌから流れて海に入る川口をお越しになった。ジンギュという川口が海に接する所で、築き出して波塘を造る場所をご覧になり、川に沿ってバヨンヌへお越しになった。
午後五時にご到着。ホテル・サンテチヤンという客舎にご投宿。ご到着後、市中をご覧になり、平八郎、コロネルがお供した。
この現代語訳は大規模言語モデルによる自動生成です。原文の解釈を保証するものではありません。
時刻
- 07:00:00
朝 七時 過客舎御発、馬車ニ而市街御覧、夫より港口を御通行ニ而 ビヤリイト への汽車場ニ至る、第
- 08:00:00
八時 発軔、市街の南辺は松林多く松根の皮を剥て松汁を取る、第
- 10:30:00
十時半 モルサンス 御昼食、Morcenx第
- 12:30:00
十二時半 バヨンヌ 御着、暫時御休息、第
- 13:00:00
一時 ビヤリイト 御着、汽車場迄礼式懸之者罷出、国帝御逢之手続申聞る、汽車場より馬車ニ而客舎御越、直様御洋服ニ而帝居御越、 篤太夫 、 コロネル 御供、帝居は海浜ニ而いと狭小なる休息所様の家作なり、玄関を入りたる広間迄帝及后妃共御迎申上る、夫より帝の居間御越、帝后妃とも暫時御閑話、御暇之御詞等御述、御書翰御渡、直ニ御引取、 篤太夫 、 コロネル は次の間ニ扣御待申上る、御帰之節帝后妃共次の間迄御送、太子は玄関まて御送申上る、御逢も御滞なく相済ぬれは直ニ客舎御発し、馬車ニ而市街御遊覧、海浜を御行過、 バヨンヌ より流て海に入る川口御越、 ジンギユ といふ川口の海に接せし処、築出し波塘を作る場処御一覧、河に沿ふて バヨンヌ 御越、第
- 17:00:00
五時 御着、ホテル・サンテチヤンといふ客舎御投宿、御着後市中御一覧、 平八郎 、 コロネル 御供いたすHotelSaintEtienne