1868年8月24日

『渋沢栄一伝記資料』別巻第1, 第2より、該当日の日記および集会日時通知表を表示します。

1868-08-24

凡例:日記集会日時通知表
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1868年8月24日

日記

DKB01 渋沢栄一伝記資料. 別巻第1 日記 (慶応4年-大正3年) > DKB10001m 自 慶応四年六月十四日 至 明治元年十一月二日 1868

七月七日 晴 月 八月廿四日 〆仏貨三千三百三十フランク持出し千フランク弐十八フランク コロネル 渡写真代 朝 七時 御旅館御発し、 篤太夫 、 端蔵 、 涌之助 、 コロネル 御供、馬車ニ而西街道の汽車場御越Rouen迄の汽車札を買ひ、第 八時 汽車発軔、此日天気朗晴、車中之眺望いと清絶なり、連日之雨ニ而塵沙を潤し、車中塵埃の患もなく処々の小山には樹色稍秋色を催し、田頭に鋤る農夫は秋成に繁忙なるを見る、第一の スタシヨンマント 迄は シヤルブー の鉄道也、 マント より鉄道を異にし ルワン の鉄道を取る、第 九時半 Vernon 着、同所に壱ケの製□所軍事《(鉄カ織カ)》に用ゆる馬車蒸気車の器械□といふVernon grand arsenal de construction pour l'artillerie et le train (equipage militaire). 第 十一時 ルワン 着、オテル・アングレーテイルといふセイユの河岸に 添たふ《(るカ)》客舎御投宿、着後直ニ午餐、済て楼上ニ而カツフヘーを呑、第 十二時十分 客舎を発し、馬車を雇へ市中を巡覧し、木綿糸を製する場所御一覧、39aheure《(sic)》生綿打立より繰糸仕上迄総而広大なる器械にて其巧緻精密驚くへく感すへし、夫より精舎製薬所御越《(マヽ)》、硝石其外数々の精舎術御一覧 御一覧後河に添ふて一里計、染物之場所に御越、白布晒上ケ、形附染立之手続逐一御覧、御帰路市街御遊覧、古寺両三処御立寄御一覧《一の高き塔に御登り夫よりノヲトルタム前を通り シヤン タルク 英人の為に焚死せし場処を過る》、第 五時 御帰館 本地は 巴里 より ロワアル 江の沿路ニ而、土地饒富、人民繁殖せり、市街も頗る広く且美麗なり、四沿は総而小山ニ而市街を擁し セーユ の河市中を流れ一の港を為せり、人口は拾万余あり、本地ハ ロワール 江達する便船ありて交易も尤盛なりといふ 夜餐後河辺御遊歩

登場する地名

スタシヨンマントシヤルブーマントルワンVernonパリロワアルセーユロワール

登場する人物

コロネル篤太夫端蔵涌之助シヤンタルク
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合計、フランス貨三千三百三十フランク。持ち出し千フランク。二十八フランクを、コロネルへ写真代として渡す。

朝七時、御旅館を御出発。篤太夫、端蔵、涌之助、コロネルがお供し、馬車で西街道の汽車場へ向かわれた。ルワンまでの汽車札を買い、午前八時に汽車が発車した。

この日は天気が明るく晴れ、車中からの眺望はたいへん清らかであった。連日の雨で塵や砂が湿り、車中で塵埃に悩まされることもなかった。所々の小山では木々の色がやや秋めき、田畑を鋤く農夫たちが秋の実りに忙しくしているのが見えた。

第一のマント駅まではシェルブール線の鉄道である。マントからは鉄道を替え、ルワン行きの線路に乗った。午前九時三十分、ヴェルノン着。同所には、軍事に用いる馬車・蒸気車の器械を製造する一つの製作所があるという。Vernon grand arsenal de construction pour l'artillerie et le train (equipage militaire).

午前十一時、ルワン着。セーヌ川の河岸に沿った、オテル・アングレーテイルという客舎に御投宿。到着後、すぐに午餐をとり、終わってから楼上でカフェを飲んだ。

午後零時十分、客舎を出発し、馬車を雇って市中を巡覧した。木綿糸を製造する場所を御一覧。39aheure、生綿の打ち立てから繰糸、仕上げまで、すべて広大な器械によって行われ、その巧緻で精密なことは驚嘆すべきものであった。

それから精舎製薬所へ御越しになり、硝石その他さまざまな精舎術を御一覧。

御一覧の後、川に沿って一里ほど行き、染物の場所へ御越しになった。白布の晒し上げ、型付け、染め立ての手続を逐一御覧になった。

帰路、市街を御遊覧。古寺二、三か所に立ち寄って御一覧。一つの高い塔にお登りになり、それからノートルダム前を通り、ジャンヌ・ダルクが英国人のために焚死した場所を過ぎた。午後五時、御帰館。

当地はパリからロワアル江への沿路にあり、土地は豊かで、人民も繁殖している。市街もすこぶる広く、また美麗である。四方はすべて小山で市街を囲み、セーヌ川が市中を流れて一つの港をなしている。人口は十万余りある。当地にはロワール江へ達する便船があり、交易もことに盛んであるという。

夜餐後、川辺を御遊歩。

この現代語訳は大規模言語モデルによる自動生成です。原文の解釈を保証するものではありません。

時刻

  • 07:00:00

    〆仏貨三千三百三十フランク持出し千フランク弐十八フランク コロネル 渡写真代 朝 七時 御旅館御発し、 篤太夫 、 端蔵 、 涌之助 、 コロネル 御供、馬車ニ而西街道の汽車場御越Rouen迄の汽車札を買ひ、第

  • 08:00:00

    八時 汽車発軔、此日天気朗晴、車中之眺望いと清絶なり、連日之雨ニ而塵沙を潤し、車中塵埃の患もなく処々の小山には樹色稍秋色を催し、田頭に鋤る農夫は秋成に繁忙なるを見る、第一の スタシヨンマント 迄は シヤルブー の鉄道也、 マント より鉄道を異にし ルワン の鉄道を取る、第

  • 09:30:00

    九時半 Vernon 着、同所に壱ケの製□所軍事《(鉄カ織カ)》に用ゆる馬車蒸気車の器械□といふVernon grand arsenal de construction pour l'artillerie et le train (equipage militaire). 第

  • 11:00:00

    十一時 ルワン 着、オテル・アングレーテイルといふセイユの河岸に 添たふ《(るカ)》客舎御投宿、着後直ニ午餐、済て楼上ニ而カツフヘーを呑、第

  • 12:10:00

    十二時十分 客舎を発し、馬車を雇へ市中を巡覧し、木綿糸を製する場所御一覧、39aheure《(sic)》生綿打立より繰糸仕上迄総而広大なる器械にて其巧緻精密驚くへく感すへし、夫より精舎製薬所御越《(マヽ)》、硝石其外数々の精舎術御一覧 御一覧後河に添ふて一里計、染物之場所に御越、白布晒上ケ、形附染立之手続逐一御覧、御帰路市街御遊覧、古寺両三処御立寄御一覧《一の高き塔に御登り夫よりノヲトルタム前を通り シヤン タルク 英人の為に焚死せし場処を過る》、第

  • 17:00:00

    五時 御帰館 本地は 巴里 より ロワアル 江の沿路ニ而、土地饒富、人民繁殖せり、市街も頗る広く且美麗なり、四沿は総而小山ニ而市街を擁し セーユ の河市中を流れ一の港を為せり、人口は拾万余あり、本地ハ ロワール 江達する便船ありて交易も尤盛なりといふ 夜餐後河辺御遊歩