1868年10月18日
『渋沢栄一伝記資料』別巻第1, 第2より、該当日の日記および集会日時通知表を表示します。
1868-10-18
1868年10月18日
日記DKB01 渋沢栄一伝記資料. 別巻第1 日記 (慶応4年-大正3年) > DKB10001m 自 慶応四年六月十四日 至 明治元年十一月二日 1868
九月三日 曇朝雨 日 十月十八日 朝 六時 御発汽車御乗組、此日は雨なれは眺望も少しく車中甚鬱陶たり第 十二時 ナルボンヌ といふ地ニ而午饌、第 二時 過 セツト といふ地に至る、此辺は既に地中海に添ふて土地は至而荒廃せしか海岸ニ而ハ多く塩を製す、其製頗軽便なるよし、処々に堆く積並へしさま、其製作の容易なる推計るへく思わる、 セツト といふ地ニ而汽車御乗替のため 一時 余御休息、第 三時二十分 御発、夜 七時 過 アルル といふ地ニ而夜饌、又汽車御乗替、此地よりして 巴里 より馬港の鉄道に出る汽車漸く速なり、夜 十時半 馬港御着、ガランド・ポテル・マルセヱイルといふ客舎御投館、 巴里 に相残り候者五人は昨日 巴里 出立、今朝 九時 頃当地着、同客舎に止宿し居りたれは御出迎申上る 此日夕方より雨歇みて空稍晴たれとも、風強く雲多く、風洋は至嶮なるへく一同心安からざりし
登場する地名
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朝六時にご出発、汽車にご乗車になった。この日は雨であったため眺望も少なく、車中はたいへん鬱陶しかった。
十二時にナルボンヌという地で昼食をとり、二時過ぎにセツトという地に到着した。このあたりはすでに地中海に沿っており、土地はたいへん荒廃していたが、海岸では多く塩を製している。その製法はすこぶる簡便であるという。ところどころに高く積み並べてある様子から、その製作が容易であることが推し量られた。
セツトで汽車を乗り替えるため、一時間余りご休息。三時二十分にご出発。夜七時過ぎ、アルルという地で夕食をとり、また汽車を乗り替えた。この地からパリよりマルセイユに至る鉄道に入り、汽車はようやく速くなった。
夜十時半、マルセイユにご到着。ガランド・ポテル・マルセヱイルという宿にお入りになった。パリに残っていた者五人は、昨日パリを出立し、今朝九時ごろ当地に到着して、同じ宿に宿泊していたので、お出迎え申し上げた。
この日、夕方から雨はやみ、空はやや晴れたが、風が強く雲も多く、海上はたいへん険しいであろうと、一同心穏やかではなかった。
この現代語訳は大規模言語モデルによる自動生成です。原文の解釈を保証するものではありません。
時刻
- 06:00:00
朝 六時 御発汽車御乗組、此日は雨なれは眺望も少しく車中甚鬱陶たり第
- 09:00:00
九時 頃当地着、同客舎に止宿し居りたれは御出迎申上る 此日夕方より雨歇みて空稍晴たれとも、風強く雲多く、風洋は至嶮なるへく一同心安からざりし
- 12:00:00
十二時 ナルボンヌ といふ地ニ而午饌、第
- 13:00:00
一時 余御休息、第
- 14:00:00
二時 過 セツト といふ地に至る、此辺は既に地中海に添ふて土地は至而荒廃せしか海岸ニ而ハ多く塩を製す、其製頗軽便なるよし、処々に堆く積並へしさま、其製作の容易なる推計るへく思わる、 セツト といふ地ニ而汽車御乗替のため
- 15:20:00
三時二十分 御発、夜
- 19:00:00
七時 過 アルル といふ地ニ而夜饌、又汽車御乗替、此地よりして 巴里 より馬港の鉄道に出る汽車漸く速なり、夜
- 22:30:00
十時半 馬港御着、ガランド・ポテル・マルセヱイルといふ客舎御投館、 巴里 に相残り候者五人は昨日 巴里 出立、今朝