1868年10月17日
『渋沢栄一伝記資料』別巻第1, 第2より、該当日の日記および集会日時通知表を表示します。
1868-10-17
1868年10月17日
日記DKB01 渋沢栄一伝記資料. 別巻第1 日記 (慶応4年-大正3年) > DKB10001m 自 慶応四年六月十四日 至 明治元年十一月二日 1868
九月二日 曇 土 十月十七日 朝 五時半 客舎御発し、汽車場ニ而 六時 発軔之汽車御乗組、直ニ発軔、此日此辺新兵組入の日なりとて、撰挙せられし兵隊の多く汽車場に集り、諸方の屯所に赴くとて歌抔歌ふて別離を慰むさま殆幽情を催す、第 十一時 過、 タルブ といふ地ニ而御昼食、此辺ハ ヒレネ といふ イスパニヤ 国境の連山に沿ふたる地にて、車中諸山崔嵬たる様、最高の嶺に は已に積雪堆く眺望甚清絶なり、鉄道も山に添へ壑に架して至而嶮岨なり、夕 六時半 ツウルウズ といふ地御着、ホテル・デ・ヨウロツパといふ客舎御投館、夜饌後市街御歩行、本地は市街も広く人口も稠密にして市店も繁殷なり 此夜本地名産のスミレ花御買上、御写真二枚を御添仏国太子江御送相成、尤太子昨日 ヒヤリイス 出立サンクルー御在之旨ニ付、同地ヘ向御差送相成 此夜大雨暴風、沿道の河々水漲りて田畝に溢れたり
登場する地名
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午前五時半、客舎を出発し、汽車場で午前六時発の汽車に乗り込み、すぐに発車した。
この日はこの辺りで新兵入隊の日とのことで、選ばれた兵隊が多く汽車場に集まり、各地の屯所へ向かうため、歌などを歌って別れを慰める様子は、まことにしみじみとした情を催させた。
午前十一時過ぎ、タルブという地で昼食をとった。この辺りはヒレネというイスパニヤ国境の連山に沿った地で、車中から見る諸山は高くそびえ、最も高い峰にはすでに雪が厚く積もっており、眺望はたいへん清らかで絶景であった。鉄道も山に沿い、谷に架かっていて、きわめて険しい。
午後六時半、ツウルウズという地に到着し、ホテル・デ・ヨウロツパという客舎に投宿した。夕食後、市街を歩いた。この地は市街も広く、人口も多く、市店も繁盛していた。
この夜、この地の名産であるスミレの花を買い上げ、写真二枚を添えて仏国太子へ送られた。もっとも太子は昨日ヒヤリイスを出発し、サンクルーに滞在しているとのことで、同地へ向けて発送された。
この夜は大雨暴風で、沿道の川々は水かさが増し、田畑にあふれていた。
この現代語訳は大規模言語モデルによる自動生成です。原文の解釈を保証するものではありません。
時刻
- 05:30:00
朝 五時半 客舎御発し、汽車場ニ而
- 06:00:00
六時 発軔之汽車御乗組、直ニ発軔、此日此辺新兵組入の日なりとて、撰挙せられし兵隊の多く汽車場に集り、諸方の屯所に赴くとて歌抔歌ふて別離を慰むさま殆幽情を催す、第
- 11:00:00
十一時 過、 タルブ といふ地ニ而御昼食、此辺ハ ヒレネ といふ イスパニヤ 国境の連山に沿ふたる地にて、車中諸山崔嵬たる様、最高の嶺に は已に積雪堆く眺望甚清絶なり、鉄道も山に添へ壑に架して至而嶮岨なり、夕
- 18:30:00
六時半 ツウルウズ といふ地御着、ホテル・デ・ヨウロツパといふ客舎御投館、夜饌後市街御歩行、本地は市街も広く人口も稠密にして市店も繁殷なり 此夜本地名産のスミレ花御買上、御写真二枚を御添仏国太子江御送相成、尤太子昨日 ヒヤリイス 出立サンクルー御在之旨ニ付、同地ヘ向御差送相成 此夜大雨暴風、沿道の河々水漲りて田畝に溢れたり